今 教育テレビで
人工骨を3Dスキャンで作り
犬の頭蓋骨に移植すると 16ヵ月後に 本物の骨におき変わる、
という説明をしている・まさに この人は『東大医学部付属病院・鄭 雄一』
いとこの雄ちゃん!
(ちょいとモザイクかかっていい感じ〜)
(東大医学部)付属病院で研究しているんだって、と母が言っていたが まだ研究していたとは!〜!
あの家族は 両親も弟のヨッケちゃんもみんな東大だった。
おじいちゃん(ハラボジ)やおばあちゃん(ハルモニ)が亡くなり疎遠になっていたので びっくりした。
(゜_゜)(。_。)
私が中学生の頃、家庭教師してもらった時期があった。
埼玉の田舎から 私鉄を乗り継ぎ北浦和まで
火曜のは田舎者の私にとって刺激があった。
しかし 一番刺激だったのは 私と雄ちゃんは、こうして血を分けた親族でも こんなに違う!ということだった。
算数 数学が苦手な私は 母にすすめられて、雄ちゃんに学ぶ運びとなったわけだけど
(母は薬剤師の傍ら、四人の子を養うのに算数数学塾を開いていた!笑〜。私があんまりできないから この子は馬鹿なんじゃないかと思ったらしい。※ついでに父は物書きで食えなくて予備校で国語や英語を教えていた)
とにかく 最先端技術を開発してるくらいだから
昔っから おかしかった。
勉強ができるのは当たり前で、通信簿でできないものがなかった。
走れば一番、歌えば賞を取り 絵を描けば県庁に飾られた。習字は金賞。ピアノも上手だった。
わたしを教えていた時も トイレでふんばりながらも わたしに何か教えていたが、
わたしには トイレにいながらも トイレの戸を半開きにして私に語る神経がわたしには理解不可能だった。
私は方程式よりも むしろ鄭雄一という人間に興味があった。
数字をみながら 数字を見なかった。雑念が多く、
勉強に集中できなかった。
答えが一つしかない 数字の世界はおもしろくなかった。
わたしは幼い頃から 生身の人間の個性的な性質に興味を持っていた。
親 兄弟、親族は優秀だが わたしは なんだかちがっていた。
今 こんなになってしまったが
年に一回 正月に小さかった従兄たちが どんどん医学部に入ったり、
インターンになったりしてる。
彼らの中にいることは、同じような細胞を組成しながら どこかインテリな雰囲気を否定したい私がいた。
私は 学校の成績が一番になれなかった。
親からは「在日韓国人が馬鹿にされなために何でも日本人にまけるな」と言われた、それにもっともだと私も思った。
悔しいし なぜ自分だけができないのかと
グレたいくらいだったが、四人の子供を必死に育てる両親を見たら できることではなかった。
それに「在日韓国人が馬鹿にされずに」
というプロパガンダは、私の自由を奪い グレることもなく、ある意味歪んだ思春期をおくることになった。
おそらく私は いろんな能力に溢れていたと思う。
しかし 鄭雄一の存在も私に 完全な優劣を諭すものであったため
わたしの個性が爆発することはなかった。
私は常に 劣等感とコンプレックスを抱え続けた。
あの劣等感からはい上がろうとした苦い時期や
自分のスキルアップをするために 踏張る苦いエキスはつまり根性だとおもうし
知性や人間力をあげ 社会性を培うファーストステップだった。
めちゃめちゃにされてよかった。
本当にそうおもう。
※3/28 教育テレビ・サイエンスZERO
犬の頭蓋骨に移植すると 16ヵ月後に 本物の骨におき変わる、
という説明をしている・まさに この人は『東大医学部付属病院・鄭 雄一』
いとこの雄ちゃん!
(ちょいとモザイクかかっていい感じ〜)
(東大医学部)付属病院で研究しているんだって、と母が言っていたが まだ研究していたとは!〜!
あの家族は 両親も弟のヨッケちゃんもみんな東大だった。
おじいちゃん(ハラボジ)やおばあちゃん(ハルモニ)が亡くなり疎遠になっていたので びっくりした。
(゜_゜)(。_。)
私が中学生の頃、家庭教師してもらった時期があった。
埼玉の田舎から 私鉄を乗り継ぎ北浦和まで
火曜のは田舎者の私にとって刺激があった。
しかし 一番刺激だったのは 私と雄ちゃんは、こうして血を分けた親族でも こんなに違う!ということだった。
算数 数学が苦手な私は 母にすすめられて、雄ちゃんに学ぶ運びとなったわけだけど
(母は薬剤師の傍ら、四人の子を養うのに算数数学塾を開いていた!笑〜。私があんまりできないから この子は馬鹿なんじゃないかと思ったらしい。※ついでに父は物書きで食えなくて予備校で国語や英語を教えていた)
とにかく 最先端技術を開発してるくらいだから
昔っから おかしかった。
勉強ができるのは当たり前で、通信簿でできないものがなかった。
走れば一番、歌えば賞を取り 絵を描けば県庁に飾られた。習字は金賞。ピアノも上手だった。
わたしを教えていた時も トイレでふんばりながらも わたしに何か教えていたが、
わたしには トイレにいながらも トイレの戸を半開きにして私に語る神経がわたしには理解不可能だった。
私は方程式よりも むしろ鄭雄一という人間に興味があった。
数字をみながら 数字を見なかった。雑念が多く、
勉強に集中できなかった。
答えが一つしかない 数字の世界はおもしろくなかった。
わたしは幼い頃から 生身の人間の個性的な性質に興味を持っていた。
親 兄弟、親族は優秀だが わたしは なんだかちがっていた。
今 こんなになってしまったが
年に一回 正月に小さかった従兄たちが どんどん医学部に入ったり、
インターンになったりしてる。
彼らの中にいることは、同じような細胞を組成しながら どこかインテリな雰囲気を否定したい私がいた。
私は 学校の成績が一番になれなかった。
親からは「在日韓国人が馬鹿にされなために何でも日本人にまけるな」と言われた、それにもっともだと私も思った。
悔しいし なぜ自分だけができないのかと
グレたいくらいだったが、四人の子供を必死に育てる両親を見たら できることではなかった。
それに「在日韓国人が馬鹿にされずに」
というプロパガンダは、私の自由を奪い グレることもなく、ある意味歪んだ思春期をおくることになった。
おそらく私は いろんな能力に溢れていたと思う。
しかし 鄭雄一の存在も私に 完全な優劣を諭すものであったため
わたしの個性が爆発することはなかった。
私は常に 劣等感とコンプレックスを抱え続けた。
あの劣等感からはい上がろうとした苦い時期や
自分のスキルアップをするために 踏張る苦いエキスはつまり根性だとおもうし
知性や人間力をあげ 社会性を培うファーストステップだった。
めちゃめちゃにされてよかった。
本当にそうおもう。
※3/28 教育テレビ・サイエンスZERO
- 2008.06.29 Sunday
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- 01:33
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- by コバヤシリカ・プロフィール