なんとっ、先日、わたしはある友人Rとはなしていた。"自分は、快か不快かで、人生生きてきた"って話した。
その話とこのヨガとつながり始めた。
言葉の魔法について先ほど重要だとおもったんが、
本を読み進めていくうち、
"ものごとを学ぶときには感覚と言葉が重要である"
その章で、"快でもなく、不快でもない「微妙」な感覚をとらえ、快に導くには、言葉が必要性"なんだと。
先ほどの友人の話に戻ると
人生を"快か不快でせんたく"して生きてくれば、迷いはない、って話に衝撃を受けたばかりだった。
わたしの人生には矛盾がおおく、と言うのも、
ただ単に型破りなだけでなく、その微妙な感覚を具体的に"快"にせずに
微妙な状態を貪ってきた。
友人は言葉が巧だし、微妙な心の状態を見破り、愛情をもって接してくれるので
わたしはRが大好きだ。
話をもどすと、ヨガで言うと、痛いけど気持ちいい、とか、
肩がこわばった感じがする、とか感想を与えることで初めて明確なものになる。
それによって他の感覚と比べて、どちらが良いかを検討したり、
能力を磨くきっかけとして活用できるようになるという。
まさに、フラメンコとまったく同じ。
何かを追求するとき、学ぶとき、そのものを磨くよりも増して、
精神のあり方が強く望まれる、だから、フラメンコを追求することは楽しい。
こんな飽きっぽい私が唯一続けてるだけでもすごい。
スタジオで練習がのらない時は、ヨガの本でも読むべし!