半身浴をしながらアロマ風呂で骨までグダグダになった。
佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」読む。平井先生という元神経科医と話してるのがめっちゃ面白い!
死ぬのが怖くなくなった。明るい死生観を持つことができた。
だいたい身体中に管を通されて死んだお祖父さんやお祖母さん、父なんかを思い出すと、
親族に医者が多くて、母も薬剤師ときたわたしには、身体に管を通され薬付けにされることが死であることだと認識していたからだ。
だから死は諦めること、選択肢がなくなること、身内に委ねることだった。
人にとって「怖い」という感覚は、放射能や核と一緒で、わからないから恐怖なのだということもわかった。
じゃあ、わかればいい。そして法律的には、医者での立ち振る舞いなどを
遺言で残せばよいのだなと。
父は脳死だった。
イビキをかいて眠っているみたいだった。そのうち人工呼吸器をつけ、数日したら死んだ。41歳だった。
父は人呼吸器なんかつけたかったろうか?そうしたかったのは身内や残された者のエゴではないか?
しかし、わたしは父が器具をつけて何を話しても届かなくてもいいから生きていて欲しかった。
そして火葬場では父の姿形がなくなるのが悲しくて仕方がなかった。
火葬場の待合室で、わたしはひとり嗚咽し号泣していた。
こんなに悲しい気持ちになる自分が不思議だった。
わたしが母でも同じ選択をした。
そして祖父は喉頭癌で最後には顔が溶けていった、管を通され、子どものわたしには何をされているのかわからない医療の恐ろしさと、
大人の社会にある暗黙の了解がわかっていた。
地元の名刺である祖父が受けた医療は
医者である息子や親族に散らばる医者達から名医を紹介されていたはずだった。
ライオンズクラブの会長だった祖父も小さな病院の個室で 顔がなくなっちゃうようと泣いていた。
わたしは死よりもどおやって死を迎えるかが怖かった。
法律的には心臓も脳もどちらもあわせて死とみなすみたいで
本人の意思も尊重されず植物で何年も生きる延命の仕方はどおかなぁ、と思う。
わたしなら死にたい。病院じゃなくて家で死にたい。ただ一つゾッとするのはその時にひとりだったらどおしようという事だ!
こりゃあ、大問題でここのところ子がいないことがことさらさみしかったのだが、本能的にそういうところにつながってゆくのかと自分でも驚く。
昨日は久々に渋谷東横線の乗り換えで右往左往していたら、可愛い子供の声で「おばあちゃん!」と聞こえた。
その声が可愛すぎたので涙がじんわりした。
わたしはそう小さな子に呼びかけれることは二度とないんだなぁ、とおもった。
死を考える時に、生を思う。
わたしも洋子さんの意見に賛成!元気に死にたい。
☆写真は同級生の友人の赤ちゃんが産まれて抱かせてもらったところ。
嬉しくて、小さな生命を抱きしめ泣いてしまったら、その子もわたしを見ながら慰めてくれた。
動物の本能って本当にすごい。。