Uno de Felices

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    今日のアルハンブラライブ、めっちゃ楽しかった!
    (メールが保存されてあったのを発見。12/10のバースデーライブの件です)

    鬼本さん嬉しそうだった。そして50回目の誕生日おめでとうございました!
    喜んでいただけて嬉しかったです。
    そしてやっぱり尊敬するなぁ。
    50であんなに踊れること、踊り一本で半世紀経つことなどなど…


    半世紀という年月をまったくフラメンコの踊りだけで駆けてきた日々。
    そしてまだまだ現役な彼女の踊りを見て
    ex一弟子として感無量な一日でした!!j

    年の瀬

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      今日は一日中家にいたので、身体が訛り、仕事のケリがいい時に 新宿まで歩いて、帰りは電車で帰ってきました。

      都内はやっとあきらめたように静かになってきました。
      また都内に人がいなくる瞬間が大好きなので心待ちにしています。

      断捨離で38万した衣装をゴミ袋に突っ込みました。
      また拾いあげてしまうかも。

      ゴミ袋には、その他汚いものを捨てなるべくその中に手を突っ込みたくないようにしてます。

      冷蔵庫したから出て来たゴキブリホイホイとか。

      煩悩を捨てるなんて普通にはなかなかできない。わたしは普通の人間。

      no title

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        わたしが可愛くて、感動してるのを優くんは何でないているのと口でモゴモゴ言っているかのようだった。
        愛おしいとはこの言葉だとおもった。


        死生観

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          半身浴をしながらアロマ風呂で骨までグダグダになった。
          佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」読む。平井先生という元神経科医と話してるのがめっちゃ面白い!
          死ぬのが怖くなくなった。明るい死生観を持つことができた。
          だいたい身体中に管を通されて死んだお祖父さんやお祖母さん、父なんかを思い出すと、
          親族に医者が多くて、母も薬剤師ときたわたしには、身体に管を通され薬付けにされることが死であることだと認識していたからだ。
          だから死は諦めること、選択肢がなくなること、身内に委ねることだった。

          人にとって「怖い」という感覚は、放射能や核と一緒で、わからないから恐怖なのだということもわかった。

          じゃあ、わかればいい。そして法律的には、医者での立ち振る舞いなどを
          遺言で残せばよいのだなと。

          父は脳死だった。
          イビキをかいて眠っているみたいだった。そのうち人工呼吸器をつけ、数日したら死んだ。41歳だった。

          父は人呼吸器なんかつけたかったろうか?そうしたかったのは身内や残された者のエゴではないか?

          しかし、わたしは父が器具をつけて何を話しても届かなくてもいいから生きていて欲しかった。
          そして火葬場では父の姿形がなくなるのが悲しくて仕方がなかった。
          火葬場の待合室で、わたしはひとり嗚咽し号泣していた。
          こんなに悲しい気持ちになる自分が不思議だった。

          わたしが母でも同じ選択をした。

          そして祖父は喉頭癌で最後には顔が溶けていった、管を通され、子どものわたしには何をされているのかわからない医療の恐ろしさと、
          大人の社会にある暗黙の了解がわかっていた。
          地元の名刺である祖父が受けた医療は
          医者である息子や親族に散らばる医者達から名医を紹介されていたはずだった。

          ライオンズクラブの会長だった祖父も小さな病院の個室で 顔がなくなっちゃうようと泣いていた。

          わたしは死よりもどおやって死を迎えるかが怖かった。
          法律的には心臓も脳もどちらもあわせて死とみなすみたいで
          本人の意思も尊重されず植物で何年も生きる延命の仕方はどおかなぁ、と思う。
          わたしなら死にたい。病院じゃなくて家で死にたい。ただ一つゾッとするのはその時にひとりだったらどおしようという事だ!
          こりゃあ、大問題でここのところ子がいないことがことさらさみしかったのだが、本能的にそういうところにつながってゆくのかと自分でも驚く。

          昨日は久々に渋谷東横線の乗り換えで右往左往していたら、可愛い子供の声で「おばあちゃん!」と聞こえた。
          その声が可愛すぎたので涙がじんわりした。
          わたしはそう小さな子に呼びかけれることは二度とないんだなぁ、とおもった。
          死を考える時に、生を思う。
          わたしも洋子さんの意見に賛成!元気に死にたい。

          ☆写真は同級生の友人の赤ちゃんが産まれて抱かせてもらったところ。
          嬉しくて、小さな生命を抱きしめ泣いてしまったら、その子もわたしを見ながら慰めてくれた。
          動物の本能って本当にすごい。。



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          今日の山梨クルシージョ

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             今日の山梨のレッスンはFiesta+レッスン楽しかったです!
            一品持ち寄り智恵さんの還暦バースデーパーティー
            (という名のだらだらとひたすら食事)の後、
            Sevillanasの歌えるようで歌えない歌詞「Viva Sevilla」の1、2番をやりました。

            最後にハレオパルマ隊とバイレ隊に別れて踊って_。
            3拍子の回る感覚がみんなついたように思う、それがなによりの収穫です♪
            みんなすごい1優秀だー。

            カンテをやると、本当に踊りにいい!
            心にもいいし!

            帰りは高速の中でずっと一番を覚えるまで歌ってかえったら
            すぐ都内についた。
            以外にややこしい歌詞だからか、老化でシナプスが接続しにくいのか、
            たった4行の歌詞が覚えられない!
            カンテが一番、やはり難しい!ということに
            私の中で決定した。

            さぁ、明日は水戸です。早く寝なくちゃ!

            Guitarrista

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              ちょうど同業者とギタリストの話をしていた。
              わたし言われたのよ。
              「いつもあのギタリストとやっておられてますが、タイムラグがありますのをご自分でその点をどお感じられておられますか。」
              そう友人にいったのは音楽家の方だったそうだ。
              わたしも友人も音楽を通じてギタリストや歌手やパーカショニスト等、いろいろなツールでキャッチボールをするように舞台で踊るから、その方の言う「タイムラグ」がわかるわかる、手に取るように。

              それで、昨日のライブだが。
              ギタリストとは、そのタイムラグが綺麗さっぱり無かった!
              つまり、わたしがやろうとすることを瞬時に察知していることがわかるので、やりやすくて楽しかった。
              すごく楽しかった!
              針でつつくような鋭さで今か今かと待ち構えるようなギタリストは日本には少ない。
              久々に共演してびっくりした!

              結果、カンテものびのびとし、他の踊り手が「踊る時にやりたいこと」に違和感は殆ど無くて、
              もちろん、自分のやりたいことをキチンと出せる技術力があることを前提に話している。

              クアドロフラメンコはギタリストが要と言っていい。
              昨日先生は、「昔あなたは、先生はギタリスト派だけどわたしはカンテ派ですって言っていたのよ。変わったのよね」と、
              たくさんの赤い花束を抱えて幸せそうだったのが、わたしにも本当に嬉しいことだった。
              素敵なバースデーライブになったと思う。そして50でも現役であんなに踊れるなんて本当に尊敬する。
              いろいろな側面からの逆光の中でどんなに鍛錬しただろう、と思う。

              共演したみんなに感謝して、また応援しに来てくれたみなさんに感謝する。こんな月並みな言葉を並べたくなったのも、先生のおかげです…

              Sentimientos y pensamientos

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                心の中に信念はあっても、何かに誰かに対峙したときに、例えば言霊であるとか
                そうやって紡いでいくように語ることで何かを発見したりする。
                それはつまり信念がブレないでいろいろな形に変容させられるので、戸惑う時がある。
                そんな時に迷い子になってしまったと勘違いをして損をしないよう、
                そういった話をできる友人がいるってありがたいことだなぁ、っておもう。
                本当に。

                しまった!

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                  しまった!本を忘れてしまった!
                  本が無いと電車の中で目が泳ぎ戸惑う。目をつむっても山手線は人が昼でもほどほどに乗っていて、
                  つむった瞼のアイラインが曲がっているって気がつかれるんじゃないかとか
                  自意識過剰になり、疲れる。

                  スマホを手にすると一気に一般人になれる気がしてブログを書くNOW。

                  いまからリハ。ゆかりちゃんに会うのが楽しみだ。セビージャであって以来の彼女。
                  お金が続く限りスペインにいると。わたしはボロのシャツやパンツを置き土産にしたはずだ。
                  それが留学生にとり本当に助かる嬉しいことがわかっていた。

                  今日はなんか嬉しい、先生とゆかりちゃんと、同門のよしみ。
                  なんか体調は良く無いんだけど。。


                  明日はアルハンブラ

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                    明日はわたしの師匠であった鬼本由美とアルハンブラで先生のバースデーライブです!
                    (≧∇≦)後輩にあたる井口ゆかりちゃんとは、初めての同門のコラボです!

                    なんか、うぎゃ!ワクワクなようなこんな言葉がぴったしな気持ちです。

                    寒いから今朝はまた寝冷えしたみたいで頭がいたい…今日は早めにベッドに入りました。
                    早めすぎて今起きてトースト食べました。さぁ、また寝なくては..

                    いま、秘密に先生に花束とケーキを用意する計画をゆかりちゃんとやり取りした、先生は赤い薔薇がお好き。
                    なんかやっぱりお蝶夫人みたいなのよね!

                    Cielo noche oscura

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                      空が綺麗。
                      一度として同じ模様や色をしていない空を見るのが好き。
                      特に夜に月を探す時に、ドキッとするくらい都会でも神秘さを感じさせるのは月や星やらと一緒にぐるりと廻り 天体の影響を受けながら生きているのだな。
                      月はだいたい期待しても期待に沿わない凡庸な姿形をあっちやそっちにある。突拍子もないところには、無い。

                      しかし昨日、一昨日だったかな。ふと墓を見上げたら 墓のすぐ斜め上に 細長くて華奢な月が浮かんでいて素敵だった。

                      月とか空とか見るときは、だいたい自分はちっぽけにおもうのかセンチメンタルな気持ちにリセット、且つポジティブにさせられる。

                      物事に対して諦めるのではなく優しい気持ちに。また日常と闘うのではなく同志となるような そんな感じだ。

                      反省点もある。毎日暇さえあれば読書しているから、調子に乗ってきていて「わたしも余生は佐野洋子さんみたいに面白いエッセイストになれるかも知れない」
                      というおごり昂りが恥ずかしい夜でもあるのだ。


                      そういえば、前にMさんから、沖縄のイタコのような方が川で石を洗いわたしの生年月日を調べ選んだ石で作ったブレスレットというのをもらった。

                      それはローズクオーツや翡翠、水晶などが最悪のセンスの悪さで配置されていた。

                      たまに月に干してください。ということだったので夜な夜な干していたが、昼に腕にはめることはほとんど無く、月に干していることの方が多かった。

                      使わないのだから捨てたいのだが、なかなか捨てられない。
                      あの石並びのセンスの悪さは酷いものだったが わたしに足りないものが入っているから、とMさん。

                      緑色の翡翠はなんとも地味な感じがして嫌だった。しかし翡翠の緑が一番多く入っている、ローズクオーツも次に多くてとにかく気にいらなかった。

                      翡翠は中国人みたいだし、ローズクオーツも下品にならぬよう精一杯のおしゃれをする一般家庭の奥さんのような感じがした。

                      調べれば、ダイヤモンドは最高の硬度を持つが、ある特定の角度から衝撃を与えると簡単に割れるそうだ。
                      一方、翡翠は鉱物としては強靭で、細かな結晶の集まりであるため、衝撃に弱い方向が存在しないのだという。

                      Mさんになんでわたしには翡翠が多いの?と聞いたら、
                      ローズクオーツも翡翠も、家庭とか円満とか安定とかの意味があり、わたしには無いものだとか。

                      たしかに強靭な衝撃でぶつかってもへこたれない根性や愛情でもって、家庭を守るような要素に欠けていたに違いない。

                      あなたに足りないもの、ということで並びの悪いセンスになってもそのブレスレットを売りさばけるというのはどおかと思う。

                      そのブレスレットは月光の当たる場所において置くことにする。




                      引き続き…

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