スタジオの空き時間を待つ間、本屋に立ち寄り、さ行を探してみるが見つからず。
痺れを切らせて店員の女性に、あの、佐野洋子さんの文庫を探しているんですが。と言う。
ここでウキっとする店員じゃないとわたしは潜りな気がする。
本屋に務めるからには本が嫌いな訳はなくて、そして、同じ女性ともなれば
佐野洋子さんを知らない訳がないし、
好みはあれど、あそこまで人間的なものを丸出しな作品に興味を持たない訳がないと。
きっとわたしも偏った人間なのかも知れないが、わたしはわたしの感性が大好きだし、それを信じてる。
それは美しい貝殻を見つけたり、自分に似合う服や、人が喜ぶプレゼントをみつけるアンテナと同じものだと。
密やかにしていなくてはいけない世間体の隠し事を美学にまで押し上げてしまうほどの 彼女の人間らしさ、その文章力が好きだ。
そして、こんなにいろいろな本を貪っても、彼女の本を読む時のような素直で日常で、繊細で感受性豊かな作品に出会ったことがない。
もう、本屋にはわたしが全て読んでしまった本ばかりが並ぶようになってしまった。
もう、わたしの猫たち許して欲しい。しか残っていない。
そしてそれが、若い時に夏が終わる頃の空を見て 裏悲しい気持ちになった時とまるで同じ感覚に陥る。
わたしは仕方なく、わたしの猫たち許して欲しい、をレジに持って行った。
多分、小さい頃、もったいなくてなかなか使いたくなかったキキ、ララのノートはおばあちゃんにやっと買ってもらえた。
或いは普段食べることができなかった珍しいガラス瓶入りの金平糖を毎日ちょっとずつだして 口の中に入れたように、
ノートも毎日眺めたりページをめくるだけで、なかなか使うのが勿体無いのだ。
そんな気持ちでこの小説のページをめくるとおもう…。