玄関出たら、エレベーターホールにいた可愛い子。
イモリなのか、ヤモリなのか。
はたまた違う名前を持っているのか。
おばあちゃんが昔、イモリは、家を守ってくれているから屋守と書くんだよ。と教えてくれた。
今思えば、おばあちゃんは素晴らしい人だった。決して文句を言わなくて、いつも相手を褒めたたえる。
それは大袈裟なほどに。
でも私たち孫たちはおばあちゃんのその言葉を信じて、
自分たちに誇りを持つことが出来た。
頭のいい人だった。
そしてたまに私に会いにやってくる。
また今年もこうやって…。
わたしにはあの世から姿を変えたおばあちゃんのように感じる。
おばあちゃんは、たまにわたしに会いに来る。小さな生き物になりすまし
家に入ってくるのだ。
前は蝶になって部屋に入っていたとき、わたしが蝶が大嫌いだということをウッカリ忘れていたようだ。
わたしはギャーギャー逃げ惑い、ほら、早く捕まえてよ!と当時一緒に住んでいた彼に 大声で怒鳴った。
わたしは隣の部屋で毛布をかむり、事態が収まるのを待っていた時だ。
去年は、てんとう虫だったが、もしやあれはおばあちゃんなのかも!
そう思って恐る恐る扉を開け、彼の行動を見据える。
ねぇ、それ、おばあちゃんだよ!とわたし。
え、、?殺しちゃったよ。。と彼。
蝶一匹を上手くし止めて外に逃がしてやれないその彼をどんなにドン臭く思っただろう。
そして、いい歳をして結婚しないわたしに痺れを切らして、おばあちゃんが暮らしぶりや彼氏の値踏みをしにやってきたこともわかっている。
そして、わたしがここに越して来て、
友人宅にお邪魔していることも、
常識的なおばあちゃんとしては、
せいぜい玄関の外までしか来ないのも彼女らしい。
おばあちゃん、わたしはとても元気で忙しく、とても幸せに生きているから心配しないでね。
おばあちゃんの時代とは違った価値観を持つわたしをきっと理解出来ないでしょうが。。
わたしはいつも思う。
こんな都会のど真ん中に突然やってくる生き物たち。
前は目の前にじっと動かない鳥が塀の上にいて、置物だとおもって近づいて穴が空くほどその鳥の美しさに見とれた。
次の日にその塀の上に置物なんてなくて、それは本物の鳥だった。
わたしには、それが父のような気がした。
いつもおばあちゃんは虫で、父は動物だ。死んだ猫のゼリーンは、わたしが舞台で踊っていると気配を感じる。
不思議なことにゼリーンはアレグリアが大好きだ。
またまた理香さん変なことばかり言っちゃって、、って言われるんだろうなぁ。